断捨離、過去の日記を捨てる

絶賛、断捨離中である。

ただの断捨離ではなく徹底断捨離だ。所有法人の資金状況がかんばしくなく去年から止血するためにあれやこれや見直し、固定費も大幅に下げる決断をした。

その固定費の中に役員社宅というものがある。これはオーナー経営者ができる節税対策において最強の方法だと個人的には思っていて。用意しなければいけない書類や物件の条件にもよるが、うまくいくと家賃の9割程度を会社負担で払うことができるのだ。

僕の場合も家賃のほとんどを会社負担にしている。たった数万円程度で高級住宅街にある庭付きの一戸建てに住めるわけだからたまらない。引っ越してきた当初は「もう100平米以下になんて住めないね」なんてのが口癖だったが、あっさりとそれを手離すことになるのだから悲しいものだ・・・。

ちなみに次の引越し先は、エリアも建物も広さもすべてがグレードダウンする。厳密に計算しなくても物が入り切らないのは明らかだ。今まで買い集めてきた物たちをエイヤ!と捨てなければならない・・・。つまり、半強制的な断捨離だ。

制限が人を強くする

人間というのは制限がないことには欲望すら止められない。スポーツカーを所有していたときは「これで通勤しないなんて考えられない」と思っていたが今はママチャリだ。外食も、買い物も、レジャーも、予算と時間とスペースがある限り人間の欲は拡張し続けてしまう。金がないならないなりの工夫をしなければならない。

  • 住居が狭いなら物を減らす
  • ベッドをやめて敷布団にする
  • マイルや楽天ポイントを貯めて旅行にいく
  • 無駄な嗜好品をやめる
  • 使わないブランドものを買わない
  • スマホのキャリア契約をやめる
  • 自炊とお弁当で団欒を大事にする
  • 子供と遊ぶなら公園にいく

不便な状況こそが人を賢くし、家族や仲間との時間を大切なものにしてくれる。制限がないと人はどんどん自堕落になり、当たり前の基準がどんどん上がっていってしまうのだ。

たとえばボクシングはわかりやすい。格闘技の中でも極めてルールが多い種目だが、制限が多いからこそ「芸術」とよばれるほど美しい競技へと進化を遂げた。チャンピオンの名前がこれだけ知られているのもボクシングの制約が多く、芸術性が高いからだろう。有名どころだと・・・

  • モハメド・アリ
  • マイク・タイソン
  • シュガー・レイ・レナード
  • フロイド・メイウェザー
  • 具志堅用高
  • 辰吉丈一郎
  • 畑山隆則
  • 井上尚弥

トレーディングの世界とボクシングの世界はとても似ていて、練習の大切さやメンタル管理、駆け引きの仕方などとても勉強になることばかりだ。熱心にボクシングについて学べば、トレーディングでも勝てるはずだ。きっと。

話を戻そう、断捨離だ。

日記を捨てるのが一番エネルギーが必要

いわゆる大手企業で管理職をやっていた頃からずっと日記(というか日誌)を書き続けてきた。毎日目標に向かって進み続けているかをセルフチェックするために日々の振り返りは欠かせない。

3年前、4年前の日記を読み返すとフフッと笑えてくる。自分はこんなことで悩んでいたのか、こんなちっぽけなことで喜べたんだ・・・。そういういろいろな感情が蘇るのだ。もちろん、読んでいるだけで苦しくなってくる場面もある。

そもそも過去の日記はとっておかなきゃいけないものなのだろうか?

徹底断捨離するときは、この半年で1回でも使ったか、今後も使う予定があるかを検討すると判断しやすい。少し考えるとわかるけど、1年のうちに過去の日記を読み返すことなんてほぼない。なんなら将来役に立つことなんてほぼないだろう。

つい過去の思い出を残したくなってしまうが、夢をおいかける途中の毎日の積み重ねを綴った日記には目には見えない大きなエネルギーが宿っている。それもキラキラした感じのやつではない。だからこそ昔の恋人との思い出の品を処分するくらい過去の自分と決別するのは大変なのだなと・・・。

「今の自分」を作ったのは間違いなく過去の自分が積み重ねた行動の結果だ。未来の自分に期待したいからこそ過去の日記を捨てるのである。